東大生は変?

 私は、いまから約15年前、愛知県内にある超進学校に通っていました。

 公立高校ですが、クラスに2、3人ずつくらいは東大に合格するような環境でした。

 私は、うっかり入学してしまったので、東大をめざすなんて考えたこともなく、そもそも名古屋大学も考えたことなく、どこかしら、県名がついて「きっと国立大だろう」と思われることになるのなら大成功くらいに考えていました。

 まあ、愛知大学という私立大学があるので、県名がつくから国立大学という保証はありませんが。。。

 私の母親は、社員食堂で元気に配膳する典型的なおばちゃんです。父はずっと会社員でいまはもうリタイアして家でゆっくりしています。

 二人とも、最終学歴は高卒です。

 両親はきっと、東大生に会ったことはないと思います。ですが、まったくイメージがないというわけではないと思います。というのも、クイズ王など東大生の特集がテレビ番組で放映されたりしたからです。

 母親は、勉強がすごくできる人がいるとすると、どうしても、「勉強ばっかりできてもねえ」というような反応をします。

 どういうわけだか、勉強の成績が抜群だと、一般常識がないとか、コミュニケーションが全然とれないとか、そういう欠落した部分がもれなく付いてくると思い込んでいるところがあります。

 某テレビ番組でも、東大生はこんなに変わっている、という映し方をしているので、私の両親のような世代もしくは属性の人たちは、東大生は勉強しすぎてきたから変人なんだ、と本当に思っています。

 東大生は人格者が多い

 私は伝えたいです。

 通学していた高校では、1学年8クラスありましたが、各クラスから最低2人は東大に合格する人がいました。

 私は、高校3年間で、最終的に東大生となった人たち15人前後のクラスメイトと関わったことがあるわけですが、みんな本当に「人格者」です。

 勉強ができるだけじゃなく、誠実で、協力的で、熱心で、相手を尊重し、思いやりがあり、そしてとても面白い人たちです。

 ごくまれに、本当にくせ者といったような人もいるかもしれませんが、少なくとも私が知った彼らは、とても人間としてバランスのとれた人たちでした。

 ですから、テレビなどで、個性際立つ東大生だけを集めていじりトークをする場面を見ると、私はどうしても、ほとんどの東大生はみんなもっとある意味で「ふつう」なのになあと思って、ちょっと悲しくなります。

 勉強が秀でていることは、人として秀でていることが多いと私は思っています。

 もちろん、勉強が苦手でも、とてもいい人はたくさんいるとは思います。

 でも、誤解を恐れずにいうのであれば、勉強をしてこなかった集団よりも勉強をしてきた集団のほうが、人を構成する各要素のバランスがとれた人の割合が高いというふうに感じます。

 もし、今後の人生において、理不尽な仕打ちを受けたり、不必要な人間関係のストレスを抱え込んだりすることを少しでも減らしていきたいと思う学生がいたとしたら、やっぱり、よりよい仲間たちと出会えるようにしっかりと勉強をしたおいたほうがいいのではないかと思います。